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2024年8月 6日

●ご報告

2024年8月1日に、僕の所属事務所である株式会社オフィスK代表取締役社長の尾崎加枝(かずえ)が永眠致しました。77歳でした。

生前はファンの皆さんからも沢山のご厚情を賜りましたこと、故人に代わり心よりお礼申し上げます。

社長は1年以上の闘病の末、亡くなりました。

腹膜ガンでした。

最初は病院に行っても中々原因が分からず、先生方は首を傾げるばかりで、何度も検査してようやくその病名が判明したそうです。

腹膜ガンは症例の少ない大変難しい病気で、担当医の先生も悩ましい気持ちで、でも一所懸命に治療に当たって下さったことと思います。

最後までご尽力下さった医療関係の皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。

昨今の医療が著しく進歩しているとはいえ、抗がん剤治療はとても苦しいものだと聞いていました。

しかし、社長はどんなに辛い治療でも弱音を吐かず、耐えて、「必ず治してみせる。」と気丈に頑張っていたそうです。

いつまで続くか分からない苦しい治療も、「自分がこの苦しみに耐えられれば、きっと来年は、歌手竹島宏に大輪の花が咲くと思うの。だから抗がん剤治療を頑張っているのよ。」と言っていたこともあったそうです。

社長は常に自分のことは後回しでした。

僕や事務所の所属歌手、スタッフの生活のこと、将来のことをいつも気にかけてくれる優しい社長でした。

元気だった頃も、闘病中も、最後まで、社長は社長らしく闘い続けた。

その話を聞いた時には、もうどうしようもなくたまらなかったです。

自分たちには何もできないことがわかっていても、何とか社長の命を救いたかったです。

残念ながら、社長に直接お別れすることはできませんでした。

親の死に目に会えない仕事ですから、仕方ありません。

僕は、社長との出逢いがなかったら歌手デビューできていなかったと思います。

社長との出逢いがなかったら、皆さんともお逢いできなかったと思います。

右も左もわからない、若干20歳の大学生の時に最初にご挨拶してから45歳の今まで、25年間、社長が大きな傘となり、守り、支え続けて下さいました。

社長の口グセはいつも同じでした。「大切な息子さんを親御さんから預かったんだから、歌手としてだけでなく、人としてもしっかり育てないとね。そうでなければ、ご両親に申し訳ないでしょ。」

こんなにも慈悲深い想いでタレントを育てて下さる芸能プロダクションの社長が、いったいどこにいるでしょうか。

そんな社長の元で歌手を続けることができ、僕はとても幸せです。

驚かれると思いますが、社長と僕の会話は、そのほとんどが、歌のこと、そしてファンの皆さんのことだったんですよ。

「今日はこんな方がいらして下さった。」
「あの方はお元気かな?」
「今度のコンサートいっぱい来て下さるといいね。」
「チャートが1位になって、きっと皆さん喜んで下さるね。」
「紅白出れなくてファンの皆さんに申し訳ないね。」
「竹島宏ファンの皆さんは、優しい心の方ばかりでありがたいね。」
「歌の力って凄いね。何があっても、皆さんの心の癒しになる歌をこれからも届けないとね。」

勿論これらはごく一部の会話ですが、とにかくずっとファンの皆さんの話ばかりしていました。

だから、一昨日の「のど自慢」は、会場のどこかで、大好きなファンの皆さんと一緒に見守ってくれていたと思います。

今はまだ、この現実を受け止め切れていないというのが正直なところです。

心の整理がつくまで、もう少し時間が必要なんだと思います。

正直言うと今は、

辛すぎて、

悲しすぎて、

どうにかなってしまいそうです。

でも、

頭ではわかってるんです。

社長が25年に渡り、ここまで愛情をかけ、育て上げて下さったご恩に報いるために、自分がどうすべきかは。

何よりも社長は、僕の歌を聞いて下さるファンの皆さんが喜んで下さるお顔を見るのがとっても大好きでしたから。

ただ、もう少しお時間をいただけますか。

まだ、心と精神が追いついてこないんです。

ちょっと時間はかかるかも知れませんが、

その日が来るまで、

しばらくの間、

どうか見守っていただけると幸いです。

よろしくお願い致します。

最後になりましたが、皆さんくれぐれもお身体を、お心を大切にお過ごし下さいね。

それが、今の僕の一番の願いです。